大阪地名研究所

合併をめぐる市町村名や駅名、区名など、地名に関する話です。

日本地名研究所 会員(2018年より)
関心分野ー 市町村名(合併にともなう変遷、行政地名) 、消滅地名、駅名、ネーミング、韓国の地名など
関連論文ー 筑波研究学園都市の合併問題と新市名の選定過程(1987年)

2005年08月

政党名


国民新党?
思えばここ十数年、たくさんの政党名があらわれた。
思い出してみよう。

新生党
新党さきがけ
日本新党
新進党
新党友愛
太陽党
自由党
民政党
民主党
保守党−保守新党

ほかにもあった気がする。
国民の声?





本名のシコ名


大相撲の話。
最近、本名のシコ名が増えている。
先場所の幕内力士でいえば

垣添
出島
片山
石出
十文字

5人もいるのである。
以前、本名といえば輪島ぐらい、であった。
あるいは元関取が幕下に落ちてシコ名を返上、ということはあった。
(覚えているのは金城−>栃光−>金城)

中には本名でもシコ名らしい、ということで使っているものもあるらしい。
たとえば出島や十文字。
しかし石出や片山はどうだろうか。
片山はまだ入幕して2場所、ということもある。
石出などは一度「駒光」というシコ名でも相撲をとっているのである。
入幕した際に元のシコ名に戻しても良かったのではないか。
また垣添もシコ名としては、やや苦しい。
いまさらシコ名、というのもあるのかもしれない。
ただシコ名も立派な相撲文化の1つと思うのである。

やっぱり田宮対加藤では盛り上がらない。
琴光喜対高見盛だからいいのである。

さよなら「波崎町」

茨城県鹿島郡波崎町。
私が1975年から1978年まで暮らした町である。
その波崎町の名前が2005年8月1日、消滅した。
隣りの神栖町と合併し、「神栖市」となったのである。
2つの「町」が合併した場合、どちらかの名前を採ることは稀である。
しかも「波崎」と「神栖」。歴史的には「波崎」の方がずっと古い。
「神栖」とは昭和30年3月1日、「息栖村」と「軽野村」が合併して成立した名前である。
それに比べて「波崎」の方がずっと古い。昭和3年、町制時に東下村から改称された名前である。一方、神栖村が町となったのは昭和45年。40年も先輩である。
歴史的には波崎の方が適当と思われる。
それではなぜ「神栖」の名が残ったのか。
1つ考えられるのは、神栖町の方が人口でまさっていた、ということがある。
合併前の神栖町の人口が約5万人。
波崎町の人口が3.9万人。
それでも大きな差ではない。
それ以外の理由としては、神栖町が鹿島臨海工業地帯の地理的な中心にある、ということである。
かくして波崎町の名前は神栖市波崎という名前で住所に残ることになった。
この2町合併が名前のためにもめた、という話は伝わっていない。
波崎は実を取ったということだろうか。
しかし安易にひらがなにしなくてよかった。

神栖市
http://www.city.kamisu.ibaraki.jp/
波崎町
http://www.town-hasaki.jp/

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