大阪地名研究所

合併をめぐる市町村名や駅名、区名など、地名に関する話です。

日本地名研究所 会員(2018年より)
関心分野ー 市町村名(合併にともなう変遷、行政地名) 、消滅地名、駅名、ネーミング、韓国の地名など
関連論文ー 筑波研究学園都市の合併問題と新市名の選定過程(1987年)

2018年06月

道修町(どしょうまち)@大阪

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道修町は、大阪では薬の町と知られる町の地名。
由来は人名説、寺名説とあるが、わからないらしい。
江戸時代からある地名でもある。
名前からは儒教らしい影響を感じられる。
「どうしゅう」でなく「どしょう」という読み方が気になる。





鰻谷中橋筋(うなぎたになかばしすじ)@大阪

鰻谷は大阪の地名。江戸時代からある。
鰻谷とは町名からは消えてしまったが、通りや商店街の名前として残る。
長堀通りの1本南側にあたり、長堀通りとほぼ平行に東西に走っている。

地名の由来としては、字の通り、鰻がたくさんとれた谷なのか、あるいは鰻のように長い谷だったのか。あるいは鰻の寝床のような細い谷だったからか。
一番考えられるのは地形による地名だが、現在も残っているかもしれない地形が気になる。また落語でも有名な地名。
公的な町名から消えながら、あちこちに地名として残っているのは、この地名に対する愛着が感じられる。

また中橋は、長堀川にかかる橋の1つ。中橋筋はその橋を通る南北の通り。つまり東西に走る鰻谷通りとは垂直で交差する。中橋は消えてしまったが、地名として残っている。

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篠山市か、丹波篠山市か

篠山市か、丹波篠山市か 。
ニュースによれば、ある個人が篠山市から丹波篠山市への改称を条件に、改称した場合にかかる費用を上回る金額が寄付したという。
地名の問題で、金銭面が話題になるというのも珍しい。
篠山市は旧多紀郡の4町(旧篠山町・今田町・丹南町・西紀町)が合併して誕生した市である。
合併にあたり、新しい市名は中心にある町、篠山が採用された。
この規模で新市名に中心地名が採用されることは珍しい。
これには合併の範囲がすべて篠山藩に属し、篠山城など「篠山」には歴史的な中心性が高かったことがある。
また兵庫県篠山庁舎や篠山簡易裁判所、篠山警察署、地方法務局篠山支局、篠山区検察庁など、地域を代表する公共機関が篠山に「篠山」の名称で設置されていたということも関係している。
ただそのまま多紀郡の4町が合併したのであるから、名称は多紀市でも問題なかったように思われる。
しかし実際には郡名よりも知名度のある中心地の名称を採用された。

篠山市か、丹波篠山市か。
今回改称については、以下の問題があると考えられる。
まず、同じ兵庫県に丹波を名乗る行政自治体がすでに存在している。
丹波市である。
丹波市は旧 - 氷上郡の6町(柏原町・氷上町・青垣町・春日町・山南町・市島町)が合併した。
こちらも郡名を採用して氷上市でも名称に問題がなかった。
しかし実際には郡名よりも知名度のある旧国名の丹波が採用された。
また合併する町に氷上町がすでにあり、そのまま氷上市となると吸収合併のイメージを与えることを避けたことも理由の1つと考えられる。
この「被合併の行政名」を避ける傾向は、よくある。
丹波市の誕生で、丹波といえば丹波市が代表するようなイメージになった。
たしかに、すべての範囲が丹波に属してたから、間違いではない。
でも実際の「丹波」の範囲は、京都府と兵庫県、また大阪府にもまたがっている。
また京都府にも丹波を名乗る市と町がある。
南丹市と京丹波町である。
もし篠山市が丹波篠山市となると4つもの市町が丹波を名乗ることとなる。
ちなみに篠山という名前がつく地方行政団体は他になく、有名な地名も存在しない。
篠山だけでも全国的に通用するとも考えられる。
ちなみに全国で国名がついた市は意外と多い。
いずれもこれらは、すでに同名の地方自治体があるため、区分するために旧国名が名称に加えられたものである。
区分の必要のない篠山市が、丹波篠山市と名乗る必要があるのだろうか。
それでも、丹波篠山にはある程度、改称しても良い理由もある。
まず「丹波篠山」という名称が、以前から使用され、通用していること。
すでに篠山市の観光協会は丹波篠山観光協会と名乗っている。
また市内に丹波焼など丹波の名前のつく特産品があること。
また篠山には自らが丹波を代表しているというプライドがある。
改称となれば問題になるのが費用。

その費用の問題が、献金で解決されるかもしれない。
このまま改称に踏み出すかどうか。
一番の問題は兵庫県丹波市と兵庫県丹波篠山市が隣接して存在することになること。
こちらは混乱を招くかもしれない。
また丹波市サイドからの反発も予想される。
個人的には「多紀郡」の名称が消えてしまっていることが気になる。
旧多紀町の名称として残っているが、かつての郡名も大切にしてほしい。
郡名も地域を代表する歴史的な名称であったのだから。
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